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魂魄 [視点 Viewpoint]

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小高い丘の上から見下ろすと、遠くに向う船の航跡が輝いていた



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少し離れた場所にいってみると断崖に打ち寄せる静かな波が絶景を織り成していた

あまりにも静かで穏やかな海
隣にいた地元のおじちゃんに話しかけてみる

この近くで父親と姉が死んだ、正確な場所はわからないさ


今年の9月、ブログ記事 『魂のささやき』(クリックで記事に移動) を書いた
それ以来、仕事で沖縄には何度か足を運ぶも
毎回日帰り打ち合わせと時間の余裕はまったくなかった

ちょうど年末の祝日を挟んで打ち合わせが入り、仕事を挟んで2日間
沖縄をゆっくり旅してきた

激しい地上戦が繰り広げられた1945年
24万人もの死者が出た

糸満市
米軍が上陸した海岸
海は米艦船が埋め尽くし
岸辺一面は血の海に染まっていたという

おじちゃんがぽつりと言う

今は海の見えるところはたくさん家もあるけど
ここは周りになにもないからいいんだ
ここで波の音を聴くのが好きなんだ






たくさんの慰霊碑を訪ねてきた

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魂魄(こんぱく)、 この二文字が脳裏から離れなかった
後ろ髪を引かれる想いが強く残った
また来よう

涙の止まらない2日間であった


1枚目: 摩文仁(まぶに)の丘
2枚目: 喜屋武(きゃん)岬
3枚目: 魂魄の塔
(写真はクリックで拡大、解説はそれぞれ青字をクリック)
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幻想的な現実 [視点 Viewpoint]

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最近、『リアルな・・・』と、いう表現をよく耳にするが、とても耳障りである

元を質せば『バーチャルリアリティ』から派生して、
バーチャルな世界とリアルの世界という対語で表現されたのであろうが、
リアルという言葉だけが独立して使われているから耳障りなのである

Wikipediaによれば、
  『バーチャルリアリティとは、実際の形はしていないか、形は異なるかも知れないが、
  機能としての本質は同じであるような環境を、ユーザの感覚を刺激することにより
  理工学的に作り出す技術およびその体系。
  日本語では「人工現実感」あるいは「仮想現実」と訳される。』
とある

生きているということ、当たり前に考えれば、
それは現実の世界の現実の実態であって、
どこにも虚像などありはしない

なのになぜ、リアル世界では、などという表現を安易に使うのであろうか

IT機器が発達し、24時間どこにいてもパソコンや携帯機器で瞬時に情報が
伝わる世界は確かに便利なのかもしれないが、
情報をちらっと見ただけでそれを実体験したような錯覚を呼び起こさせてしまうという
きわめて脆弱な世界だけが広がっていることに恐ろしさを実感するのである

だからこそ現実に存在するものの素晴らしさをたくさん実感したいのである

前回紹介した月光の雲海をみた後、夜が明ければ
そこにはさらに幻想的な美しさの現実の世界が広がっていたのである

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
仕事で先週は大阪、福岡、今週は沖縄、宮城は石巻から仙台と飛び回っていて
日々の仕事の整理が進まず、さすがに何がなんだかわからなくなってきた
少し落ち着いたら、また皆さんのブログをゆっくりと訪問しよう
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あしもと [視点 Viewpoint]

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例によって言葉の意味を調べたくなった

『足元』を英語辞書で引いてみたが、ぴったりと収まる英語はどうもない

提灯で足元をてらす light one's way with a lantern
足元がふらふらする be unsteady
彼は懐中電灯をつけて足元を照らしてくれた. He flashed a torch to guide me
足元に転がっている lie at one's feet
足元ご用心  Mind [Watch] your step!
研究者新和英大辞典

日本語辞書で引くと

あし‐もと【足元/足下/足許】
1 足が地についている所。また、その周り。「暗いから―に注意して下さい」「―に犬がうずくまる」
2 足の下部。「―に泥はねを上げる」「―が寒い」
3 ある人の、ごく身近な所。身辺。「まず―を固めて仕事にかかる」
4 足の運び方。歩きぶり。足どり。「―がふらつく」「―がおぼつかない」
5 苦しい立場。差し迫った状況。弱点。弱み。「―につけ込む」
6 物事を行うためのよりどころ。立脚地。足掛かり。足場。「事業の―を固める」
7 家屋の地面に近い部分。縁の下や土台など。
8 「足元瓦(あしもとがわら)」の略。
Yahoo辞書大辞泉

なるほどね 日本語っていいな

東京都葛西臨海公園
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木の力 Power of Trees [視点 Viewpoint]

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最近当ブログを訪問下さるようになった木工家kuniさんのブログを読み、木の力について考えている。

木は気なのではないだろうか。

例によって言葉の意味を調べてみたら、気には二つの読み方があった。

き【気】
(1) 変化、流動する自然現象。または、その自然現象を起こす本体。
 1 風雨、寒暑など、天地間に現われる自然現象。*海道記「小暑の気」
 2 陰暦で一年を二四分した一期、一五日をいう。「二十四気」
 3 万物を生育する天地の精。天地にみなぎっている元気。*秘蔵宝鑰‐上「人死帰レ気」
 4 空気。大気。*浄・孕常盤‐一「気をくらひ風をのみ」
 5 雲、霧、煙などのように、上昇する気体。*夫木‐一「咲く花の光にもゆる春のきは」
 6 そのもの特有の味わい、かおり。香気。「気のぬけたビール」*平家‐三「花芬馥の気を含み」

(2) 生命、精神、心の動きなどについていう。自然の気と関係があると考えられていた。
 1 いき。呼吸。「気のつまりそうな雰囲気」
 2 精気。生活力。*仮・浮世物語‐二「五蔵六府の病の品々、風・寒・暑・湿・き・血の虚実、
   内傷・外感の本を正しくして薬を与ふるに」
 3 心のはたらき。意識。「気が狂う」*虎寛本狂言・右近左近「気を慥(たし)かに
   持たせられい」
 4 精神の傾向。気だて。気ごころ。*浄・心中宵庚申‐道行「気のとっさかなしうとめに」
 5 緊張した、さかんな精神。気力。気勢。「気がはやる」*筑波問答「『鞠の手持ちやう、
   如何程もすわりたるよき』と仰せられき。是は其の人の気に対して教へかへられ侍るにや」
 6 何事かをしようとする心のはたらき。つもり。考え。意志。「死ぬ気になって働く」
   *狂言記・貰聟「我はしかといぬまひといふきか」
 7 あれこれと考える心。心配。「気が晴れる」
 8 感情。気持。気分。*日葡辞書「Qiga(キガ) ツカルル」
 9 根気。気根。→気が尽きる。
 10 興味、関心。また、人を恋い慕う気持。→気がある。「車に気をとられる」
   *天草本伊曾保「イヌワ〈略〉シュジンノqiuo(キヲ)トルモノデゴザルホドニ」

(3) 取引所で、気配(きはい)の事。人気。「気崩れ」「気直る」


け【気】
(1) (「気」の字の呉音か。一説に、訓とも)
 1 ある物の発する熱気や、ある物の持っている勢い。*神楽歌‐明星・湯立歌
  「焼く火(ほ)の介(ケ)」
 2 気分。心地。また、気力。*源氏‐夕顔「恐ろしきけもおぼえず」
 3 人や物の状態から受ける感じ。けはい。*落窪‐一「口つき愛敬づきて少し
   にほひたるけつきたり」
 4 気候。天気。「気を寒み」の形で、寒さがきびしいのでの意に用いる。
   *曾丹集「けをさむみ冴えゆく冬の」
 5 いろいろな要素、成分。また、「…の気」の形で用い、それらがわずかに感じられる
   さまをもいう。①病気。「中風の気」②味、匂いなど。*今昔‐一・一一「米の気(け)
   なれば吉(よ)き物也と」③(「けがつく」の形で)産気。

(2) 〔接頭〕
 1 主として形容詞、また動詞、形容動司の上に付いて、様子、気配などの意を表わす。
   様子が…である。「けおそろし」「けぎよし」「けざやか」「けなつかし」など。
 2 動詞、形容詞の上に付いて、何となく、漠然とした、などの意を表わす。
   「け押される」「けだるい」など。

(3) 〔接尾〕体言、動詞の連用形、形容詞・形容動詞の語幹などに付いて、そのような様子、
   気配、感じなどの意を表わす。名詞に付く場合、上に促音を介することも多い。
  「さむけ」「いやけ」「くいけ」「女っけ」「飾りっけ」など。

小学館/国語大辞典(新装版)


木は気、まあ、自説としては結構的を射ているのではないか。


アジアモンスーン地帯に暮らすアジア人にとって、木は古来、生活に深くかかわってきた。
神社には樹齢1000年を超える御神木があるのは当たり前ということが、
実は当たり前でなく如何に貴重なことか、普段の生活の中で実感することはない。


ギリシャのパルテノン、ペルシャのペルセボリス、トルコのエフェソスなど2000年前に
栄えた都市は今は見る影もなく荒れ果てた乾燥地帯の中にある。
パルテノンにはいったことがないが、ペルセポリスやエフェソスの遺跡を訪れたとき、
往時の都市の繁栄を偲ぶことはなかなかできない。ただただ圧倒されるだけである。


よく知られていることだが、これらの古代都市では生活のために山の木々を切り倒して
燃料として燃やしてしまった。だから燃料がなくなり、人は去り、山は荒れ、土は流れ、
海は埋まり、残ったのは荒涼としたはげ山だけになってしまった。
砂漠は人間自らが作り出したのである。


日本が、そしてアジアが持っている自然の力、木の力を考えてみたとき
その莫大なる価値の大切さを実感するのである。
伊勢神宮に参拝しても、奈良を訪れても。
森の中に入ると神聖な気持ちになるのは、
木の放つ莫大なエネルギーを受け止めているからなんだと
確信するのである。



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山梨県富士吉田市 北口本宮冨士浅間神社

拝殿の前の両脇にある2対の御神木「富士太郎杉」「富士夫婦檜」。
樹齢は1000年を超えるらしい。写真は「富士夫婦檜」の注連縄。
古来多くの人がここを訪れ、この木を崇めたことだろう。


※今回から写真をクリックすると別ページで大きな写真が出るようにしました
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凝縮 Condensation [視点 Viewpoint]

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今日はちょっと文章を書きたくなった。

このブログを書き始めたのは2005年10月であった。当時タイに単身赴任していた。
それ以前にも7年近く海外での単身生活を過ごしていた。
毎日出会う新しい世界に対して、それまでの自分がもっていたものの見方、
感じ方などとの違いを何かしら書きとめてみたいという思いであったと同時に
日本にて留守を預かる家族にメッセージを残したいという想いがあった。

日本に戻ってきて日本での生活を再開して3年になろうとしているが
今は再び海外での生活を再開してみたいという想いが募るばかりである。

知らないことを知ることという興味と刺激、それが面白くて仕方がないのだが
自分が生まれ育った日本ではどうしても限定した範囲になってしまって
写真を撮っていても同じパターンにはまってしまう。

知らないことを知る、視点の断面とはそういうことをどれだけ
気づくことなのかを確かめる旅であったはずなのである。


先日、東京都写真美術館にいった。ここには気まぐれで時々やってくる。
今、開催中の展示は

セバスチャン・サルガド    アフリカ生きとし生けるものの未来へ

コレクション展「旅」    第3部「異邦へ   日本の写真家たちが見つめた異国世界」


の二つである。いずれもフィルムの時代に撮影されたモノクロの写真が
大型の印画紙いっぱいに展示されており、その迫力に圧倒される。
現代のデジタル写真とは全く異なる趣のある写真ばかりである。

1階の喫茶店にてお茶を飲みながら我に返って今見てきたものを
振り返ると、どうも自分の視点の断面が陳腐に見えてきて仕方がない。
そもそも写真はいまどきのデジタル写真のように、派手な色合いでカリカリに仕上げて
写実的に表現しなくたっていいんではないか・・・・

美術館を出ると、高層ビルの横で、壁のガラスに映った空の写真を
写している方に出会った。強い風が吹き荒れ、面白い形の雲がいろいろな
姿をして空の中で遊んでいた。ふと我に返り、カメラを取り出して
しばらく私も空を撮り続けてみた。

しばらくして一息。
「写真を撮っている姿を見て、ふと我に返り、空を見上げてみたら
面白い世界が広がっていたんですね。気づかせてくださりありがとう」
と声をかけると
「いえいえ、こちらこそ。面白かったですね」
会話が弾んだ。

家に帰ってから写真をよくよく見ると、青空と白い雲のコントラストが
きれいであったが、どうにも納得がいかなくなった。
そうだ、視点を変えて、モノクロの世界にしてしまおう。
そしてできあがったのがこの2枚である。

いつもと違う何か、しかもその何かが凝縮している世界、に
出会った気がしたのである。
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21年 Twenty One Years [視点 Viewpoint]

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21年前に学生時代の友人が30歳を前に急性心不全で亡くなった。当時、ご両親からの連絡がなく、
あとから訃報に接し、とても心が痛んだ。学生時代の仲間はそれぞれに一番忙しい時期で、
家庭を持ち始め、いろいろなところに住んでいて、なかなか会うチャンスもなかった。
以降、21年間にわたり友人の供養ができていないことがいつも気になっていた。

2ヶ月ほど前に久々に仲間で集まろうということになり、その席で、その友人のお墓参りに行こうと
いうことで満場一致となった。だれもが21年間なにもしてこなかったことを気にかけていたのである。

友人の家には何度か泊まりに行ったことがあり、ご両親には面識があったので、さっそく電話を
かけてみたところ、ご両親とも御達者で、墓参りのことを心から喜んでくださった。

昨日、通常行われる何回忌という法要ではないが、命日に併せて特別に法要を営んでくださった。
大学OB一同と書かれた卒塔婆まで用意してくださった。駆けつけた仲間たち、参加できなかったけれど
お花代を出した仲間たち、ひとりひとりの名前を法僧さんが法要の中で紹介してくださった。 
仲間も21年間のことをごめんねといいつつ、焼香した。

法要後、学生時代の思い出話をご両親にたくさん紹介し、笑い声が絶えないほど楽しく語らいながら
昼食を頂いた。ご両親の目からあふれるものに、仲間も本当に集まってよかったと思った。
ご両親にはますます御達者でいて欲しいと願うばかりである。また来年、命日には墓参りにこよう。
21年間本当にごめんな。

写真は話とは関係ない。
山梨県ほったらかし温泉の早朝。雲海の中に幻想的な太陽の輝きをみた。まだ開かないススキの穂が
ゆらいでいた。

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生まれ変わり [視点 Viewpoint]

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8月15日、終戦の日、靖国神社をお参りした後、千鳥ヶ淵戦没者墓苑にお参りに行った。

墓苑の由来を刻んだ石碑を読む若者の背中に蝉がじっととまっていた。

きっと戦没した若者の縁者が蝉に生まれ変わり、そっと話しかけていたんだろうと確信した。

人間の歴史は紛争の歴史である。

命を落とされたたくさんの方々の冥福を心から祈りたい。

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息子 Anak [視点 Viewpoint]

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フィリピン メトロマニラ パッシグ川


今日は嗜好を変えて 我が青春時代を振り返る。

前回の記事でフィリピンの歌手Aiza Seguerraを紹介した。たくさんのコメントを頂きありがとうございました。
JunsbarさんがコメントされたFreddy Aguilar (フレディ アギラ)のことを改めて思い出した。

Freddyはフィリピンのポップス界において大御所であり、国民の誇りであり、心の拠り所となる大物歌手である。
全く無名であった彼は1978年にANAKという曲で一躍有名になった。マニラ音楽祭でこの曲を発表して、
わずか2週間で爆発的なヒット曲となったのである。息子を育てていく親の気持ちを綴った歌で、
フィリピンでの大ヒットをきっかけに世界中の歌手が歌い始め、12ヶ国語、54カバーが売られるにいたった。

この曲が日本で流行ったのは同じく1978年、杉田二郎や加藤登紀子が大ヒットさせた。私が高校を
卒業する頃のことだ。当時初めて聞くタガログ語(フィリピンの言葉)の響き、哀愁を帯びたメロディに
釘付けになった。

その後、20数年を経てフィリピンの生活を経験した私にとっては、この曲の意味することが
おぼろげながら見える。それは前回紹介したAiza SeguerraのWhy did you know? にも
相通じるもので、言葉で説明するのはちょっと難しいけれど、フィリピンの人たちの生活の
一端に触れたなかでこれらの曲を聴くと、胸が熱くなる思いがこみ上げてくる。

ANAK それは大きな因縁を感じる曲なのである。
当時を振り返り、またフィリピンの友人たちのことを思い出しつつ、聞いてみよう。







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由来 Roots [視点 Viewpoint]

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かつてフィリピンで仕事をしていた
いったりきたり、長期で滞在してたりと
5年ぐらいかかわった。

しばらく行く機会がないが、当時の友人とは
ずっと長い付き合いをしている。
先月末もメールのやり取りをしていた。

さてLani Misaluchaの曲を前回、前々回と紹介した。
彼女はフィリピンの大物アーティストだ。
ポップスからジャズまで何でも歌う。
迫力満点の歌唱力だ。
アメリカでの活躍も話題になっている。

かつてフィリピンにいる頃からCDをあつめていた。
この2曲が入っているアルバム「Reminisce」は
昨年夏にリリースされた。
imeemでいつでもどこでも曲が聞けるのだから
すごい時代になったものだ。
収録されている曲を調べてみると、
いろいろと面白いことがわかってきた。

Bridgesは「W&R」さんのブログ「Jazzと読書の日々」に詳細が
書かれていたので引用させてもらう。
http://d.hatena.ne.jp/wineroses/20070729

「1967年、ブラジルのシンガーソングライター、
ミルトン・ナシメントの曲。
ブラジルは1964年から80年代半ばまで軍事政権下。
つまり反戦フォークソング。人々が愛でつながる世界を夢見る。
「僕のことを分かってくれる人がいない」という
イジケ歌のようにも見えるけど、それは気にせずにおこう。
サラ・ヴォーンが英語で取り上げアメリカでもヒットした。」

サラ・ヴォーンは有名なアメリカのジャズ歌手。

Skyline Pigeonは結構たくさんの情報があるが、
どれも詳細で一致していない。
1969年とか1973年とか、いろいろ情報が錯綜している。
いずれにしてもエルトン・ジョンのデビューの頃の作品だ。

こんな曲を発掘してアルバムを作ってしまうという
プロデューサーに脱帽である。

Reminisce:(過去の経験・出来事を)楽しく思い出す;思い出を語る,追想を書く
プログレッシブ英和中辞典 第3版 小学館

その他の曲の由来もゆくゆく調べてみよう。


写真はマニラ市内から仰ぐ日の出だ。
いまから4年前。
ちょうど雲に太陽の光がさえぎられ
空の色が二分されていた。

正面に見えるのはアンティポロ山。
ここは第二次世界大戦の際に
日本軍に組したフィリピン人と
アメリカ人に組したフィリピン人同士が
戦うという悲惨な戦いがあったところだ。
その事実は日本ではあまり知られていない。

イスラエルガサ地区の戦争もようやく停戦の
兆しが見えてきた。
太陽の美しい輝きのように、いつのときにも
平和を願うのは万人の想いだろう。
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紅白 [視点 Viewpoint]

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例によって言葉の意味が知りたくなった

こうはく【紅白】

1 紅色と白色。赤と白。

2 (源氏は白旗を、平氏は紅旗を用いたところから)源氏と平氏。
  源平。また、試合などで二組に分かれるときの紅組と白組。

3 水引(みずひき)の半白半紅のもの。

4 紅白の餅あるいは菓子。

こうはく‐じあい【紅白試合・紅白仕合】
  紅白の二組に分かれて行なう試合。源平試合。

こうはくばい‐ず【紅白梅図】
  紅梅、白梅二種を描いた絵。
  特に尾形光琳筆の二曲屏風一双は国宝。

こうはくふよう‐ず【紅白芙蓉図】
  紅白の芙蓉を描いた絵。特に中国宋代の李迪(りてき)筆の二幅は
  院体花鳥画の代表作で日本の国宝となっている。

国語大辞典(新装版)小学館

なるほどね

紅白だけで源平合戦まで遡れる日本の文化の奥の深さ
日本人に生まれてよかった
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